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大学受験

 そのような理由で、勉強を全くしなかった小生の成績は中学校で少しずつ、そして引っ越し先の高校になって瞬く間に低下した。
 高校の1年生の時だったろう、科学の授業中、授業内容をろくに板書しようともせずにいた小生に、教諭が『こういうのがいるんだよな。中学校くらいまで勉強しなくてもいい点とれるけど、その調子で高校勉強して成績下がっていくのが』と指摘されたが、その通り小生の成績はどんどん下がっていって、2年の後半では当時一応進学校とはいえ北大レベルの国公立大学への入学が数人ほどしか存在しなかった200人ほどの文系クラスでの成績が150〜180位ほどだった。
 このようにやはり志望校進学の夢を断たれていたためだろうか、勉強は全くしていなかった一方、小生は図書局に入局し、以前住んでいた地では唯一の図書館まで自転車でも3〜40分ほどの距離があり、おまけに気が付いたら部活に打ち込んでいた小学生や、何か一つ体育会系の部活に入部しなければいけなかった中学生の時代には体験できなかった読書ライフを満喫した。
 小生が後に研究し、拙著を上梓したドストエフスキー作品を手にしたのもこの時で、確か米川正夫氏の旧字体訳『死の家の記録』だった。
 当時進路に絶望しかけていた小生は救われた気がして、早速父が『入れてやらねーぞ』と連呼していた北海道大学のパンフレットを読むと天の助け、ロシア文学が学べると判明し、こうして小生が受験勉強を始めたのは高校3年生の春だった。

大学選択

 その五木寛之氏が早稲田大学卒業で、『青春の門』も早稲田大学で体験した氏の破天荒な人生が基になっていると知った小生は、是非早稲田大学に入学し、氏のような大学生活を送ってやがては文筆の道へ進みたいと願うようになった。
 ちなみに東京には最難関の最高学府である東京大学が存在するが、小生にとって東京大学での大学生活を象徴するのは教科書に掲載されていた東京大学卒の文豪夏目漱石氏の『こころ』であり、恋愛をモチーフにした文士たちの三角関係と自殺の問題を描いた名文には違いないが、小生はその作品を読んで東京大学での大学生活に憧れはしなかった。
 五木寛之氏が、あるいは五木寛之氏のような人材が東大を卒業して『青春の門』のバイケツ、ゲバボウ、アカセン(思うとキリスト教でも売春婦だったマグダラのマリアがキリストに影響を与えている。執筆中のゲーム理論の著作で売春に纏わるコラムを掲載する予定なので期待してほしい)のような言葉に象徴される生々しいが魅力のある世界を描いていれば、小生は東京大学に憧れたかもしれないが、当時の東京大学にはどうやらそのような土壌は存在していなかったようだし、今も存在していないかもしれない(東大卒の肩書を背負って作家となった芥川龍之介氏が自殺の直前の手記で遊女について触れているのも、女性との情に溺れながら名文を残した太宰治氏が情死を選んだのもあるいは偶然でないかもしれない)。
 ところで、小生の願いは、『だったら北大に入れてやらねーぞ!』という理不尽な父の一喝で無残に打ち破られた。
 生まれた地域の国立大学に入学して安定した職に就き、自分の手の届くところで全うな人生を歩んでほしいという父の願いだろうか、それとも決して平均月収の高くない辺境で会社員として働く父にとって東京の高い家賃を払い、私立大学の高い授業料を援助する余裕など存在しなかったのか(父は、早稲田大学はもちろん全ての私立大学と、例え国立の大学だっとしても北海道以外の大学であれば援助は一切行わない―つまり北海道大学以外であれば援助を行わないと言い切っていた)父は幼少期から小生を地元の国立大学に進学させようと小生が何か過ちをする度に、例の一喝を付け加え、小生が北海道大学に進学するよう奇妙な刷り込みを行ったのだった。
 小生の学力に関してだが、読書癖の為だろうか頭の回転が早かったらしく(学校の通知箋には担当の教諭がそのように書いて下さっていた)勉強であまり困りはしなかった。
 余談だが、小生の通っていた小学校の同級生で、数学教師を父に持った優秀な同級生がいたが、小学校全てを通しての彼の数学の平均点が100点で、小生の平均点は99点だったという。その同級生は、小生と同じ大学の医学部に進み研究の道を歩んでいる。
 だが、小生は余り勉強熱心でなかったようで(というよりも全く勉強熱心でなく)授業中教諭に叱られることもトップクラスだったようなのだが(というよりトップだったのだが)、考えてみると小生が勉強を熱心に行わなかったのは、自らの願いを打ち壊そうとした父へのストライキだったのかもしれない。

 ちなみに小生の大学選択はあくまで小生の趣向で、大学の優劣を決めたりはしない。小生が入学を熱望した早稲田大学にしても、受験に必要な要素で言うなら、少なくとも小生の体験では当時文系科目3科目の受験で済む早稲田大学の方が、センター試験の関門がある北海道大学入試よりずっと簡単であったし、東京大学も国立大学の最難関である偏差値のアスリート達の集う場所で、彼らの行った熾烈な努力や東京大学が生み出した文豪達に敬意を表する(小生はもし関東近辺に生まれていたらと時々想像するのだが、『だったら北大に入れてやらねーぞ!』という父の叫びが『だったら東大に入れてやらねーぞ!』に変化するだけのような気がする)。一方で北海道大学は独自の風土がフロンティアスピリッツを養い、内村鑑三、新渡戸稲造、有島武雄(北大が誇る作家も愛人と心中しているわけだが)など北海道大学ならではの人材を輩出してきたのである。
 敢えて提言するならば、全国の国立大学の偏差値の異なりは情報技術の発達していなかった以前は必要悪だったのかもしれないが、情報技術の発達した今ではナンセンスだ。
 
 

 

愛読した作家

 小生が愛読した作家は五木寛之氏だった。
 自宅の書棚に並べられていた『青春の門』を手にしたのがきっかけだったが、読むやいなやたちまちその世界に引き込まれていった。
 心理描写の優れた氏の筆力は言うまでもなく、九州に生まれ、やがてひとり東京に旅立ち波乱に満ちた人生行路を往く主人公に、方角は異なるが辺境に暮らしていた小生は自身の将来の姿を重ねていたのだろう。
 ロシア文学に興味を持ったのはもちろん、大学でボクシングを行ったのも氏の影響だったのだろう。
 のちの人生に与えた影響は計り知れない。
 小生の拙著の前文でドストエフスキーの影響を受けた日本人作家に氏の名前を掲載していないが、これは氏が近年報道などで『鬱の時代』について論じている際に日本が今下りの時代に差し掛かっていると仰っているのを聴いて、穿った分析もさることながら、今の日本を青年期に東ヨーロッパを旅し(氏の後姿に憧れたものだ)、上りの時を送られた氏が今百寺巡礼などでアジアを内省する緩やかな下りの時を迎えていらっしゃるようで、掲載するのは氏の平穏を妨げるように感じたのと、そして何より小生にとってドストエフスキーと同様の(比べるのも失礼であろうが)存在感を放ち続ける作家をドストエフスキーの影響を受けた作家の一人として掲載するのがしっくりこなかったのである。











 もちろん、小生は様々なジャンルの作家達から影響を受けている。
 機会があれば何らかの形で公表させていただく所存である。
 大学選択などについては翌日掲載する。
 
 

少年期

 幼年期から少年期への変化の定義はいろいろあるとは思うけれど、小生の少年期への変化は、子供用の百科事典がブリタニカに変わったことだった。
 格段に難解となった文字列や理解不能な数式等に戸惑いながらも、小生は最初は写真やイラスト、次第に最も読みやすい対象より事典を読んでいくようになった。
 考えれば、現在小生が執筆研究対象としているその萌芽がブリタニカに集約されていたような気がする。
 先ずドストエフスキーだが当然掲載されてあり、異国の作家が受けたシベリア流刑や、その後送った思索と苦悩、そして波乱に富んだ人生は小生に極度の驚愕と、何か本質的な共感を呼び起こした。
 これが、後に研究を行うことになったドストエフスキーと小生との初めての出会いだった。
 そして、これも興味深く、最近になって思い起こしたのだが、ゲーム理論というジャンルに纏わる記述がブリタニカに存在していたのだ。
 とはいえ、そこに掲載されたイラストはトランプとチェスの絵で内容も深くなく(ゲーム理論は当時発展途上で今でさえそうなのだから、止むを得ないであろうが)、小生が今執筆を行っている今の小生の理論に到るまでには知恵と知識、そしてインスピレーションを養う長い道のりが存在する(為になるコラムや分析テスト等を用意した読み応えのある内容となっている。ぜひ期待してほしい)。
 

幼年期

 小生は幼かった時期から本の虫だったようである。
 家庭に特殊な用紙をレコードのような機械に置くと音声が流れるという学習キットと20巻ぐらいの子供用百科辞典が我が家に存在していたが、私はずっとそれを朝から晩まで貪る様に聴いたり読んだりしていた。
 幼少期の教育は重要だと謂われているが小生もその考えに賛成で、今の小生があるのは、こういう教育機会あればこそである。
 世のお子さんの親となっている皆さんには幼少教育を熱心に行うよう推奨する。
 ちなみに小生はカトリック系の幼稚園に通っていたのだが、どうやら群を抜いてせわしなかったらしく、コーカソイドの神父さんやシスター達が手を焼いた余りに一度私を暗くて小さな礼拝室のような場所に閉じ込めてしまった。
 思うと小生の屈折したキリスト教に対する感情は幼少期に形成されたようだ(笑)。
 とはいえ、問題はせわしない小生にあり、神父さんや幼稚園の人々は往々に優しく、散々小生を叱り続けていたシスターは数年後機に触れて幼稚園を訪れた小生に涙を流して成長を祝福して下さった。
 皆さんが健やかなる日々を営んでいらっしゃるよう祈ります。
 

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