記念に

ディランの名曲Mr tambourine manを歌う。CDはこちら
ほぼ即興のため、俺の歌の曲も歌詞も滅茶苦茶だが(Mr tambourine manそのものは名曲中の名曲、たぶん結構あっさりと作った曲なのかもしれないが、フォークからロックへの過渡期なのだが、ディランのフォークソングの完成を示したともいえる。)、まあ記念ってことで…。

書き上げた!

 ようやく書き上げた!といってもまだ下書きの、いわば叩き台の段階に過ぎないが、担当して下さっている編集者様に連絡を差し上げて原稿の受け渡し作業を行った。
 今達成感と解放感に心地よくひたっている。
 数日間は何も考えず骨休めして(その間に撮影作業を行う予定)、その後は現在執筆している著作の次の作業まで、構想を練っている作品の執筆を行う。
 みんなのおかげで頑張れた、有難う!そして俺、よくやった!

いい意味で

追い詰められているせいか、驚くほど集中できた。
ちなみに前回の日記の後も結局食事をしなかったので、流石に食事しなければまずいな…。

わけあって

 昼より中心街に出掛けた。ちなみに髪を整えている最中、随分と伸びてセッティングしづらくなっていることに気付き、前回散髪した時期を調べると2ヶ月前だったのでついでに髪をカットしてもらった。
 なんだかんだで家に帰ってくると夕方の6時になっていた。
 これから執筆を行わねばならない。自分に課したノルマは少なくない。
 しかし、昨晩妙に気が立っていて、2〜3時間眠っただけだった。万全ではない体調で目標達成出来るだろうか…。取り敢えずまだ固形物を摂取していなかったので食事をしてから作業を行う。

自分でも

 驚いてしまうほど感覚が研ぎ澄まされていて、ほぼ休むことなく執筆を行い、目標を達成することが出来た。
 今までの自分の限界を超えた気がした。

2週間ほど

 休みなく執筆していたせいか、早起きできなかった。
 が、今日は正念場である。
 必ず目標達成せねばならない。

先ほど

 執筆を終え、現在少々のアルコールを飲んで、ギアがあがり過ぎている脳をクールダウンしている。
  

ようやく

作業を遂げた。
深夜に意識を失い、目覚めたらもう朝も遅い時刻。
その後必死に作業を行いようやくの完遂。
マラソンしているような感覚だった。
そう言えば固形物を食していないので、食事をして小休止してからもう一頑張り!
 目標の半分程度。まあ、合間に2時間ほど休憩したが…。
 昼夜逆転してしまう可能性があるが止むを得ません、今日は完徹です。
 やり遂げるぞ〜!

今より

 執筆を開始。
 作業自体は単純だが、長丁場の耐久レースのような作業となるだろう。
 必ず目標達成するぞ!

数時間

 休んだ後執筆を再開し、今作業を完遂した。
 もうちょっと頑張ってもいいような気もしたが、今のリズムを維持するため筆を置く。
 快い眠気が、俺を夢の世界に誘いつつある…
 

頑張って

今日のノルマは一通りこなした。
しかしながら、それでも結構ぎりぎりのペースである。
最後の方ちょっと頭痛がしたので現在は少しアルコールを飲んでクールダウンしている。
集中力の持続時間には限りがあるので今から数時間仮眠を取って再び執筆を行う予定。

今日から3日間

 昨日までの約1週間充実はしていたが今までで1番きつかった。執筆の後はもう何も考えられなくなっていた。
 今日から3日間ほどは抜粋等の作業が主なので、時間はかかるが比較的脳に負担のかからない作業である。着実にノルマをこなしたい。
 取り敢えずここ1週間くらいで部屋がずいぶん乱雑になってしまったので、まずは掃除と洗濯である。
 ようやく今日のノルマを達成。
 今までで今日が一番きつかったやもしれん。
 脳みそ機能停止寸前。
 
 今日は気合で自分のノルマを書き終えた。月末の締め切りまで10日余りだが、必ず書き上げようと頑張っている。しかし、29日の夜は徹夜になるかもしれない。だが、とても充実している。このような充実の機会を与えてくださっている編集者様並びに出版社様に感謝の極みである。
 そういえば今日は試合後のボクシング部員たちの打ち上げ。現在楽しく飲んでいる最中だろう。試合を見学に行ったらキャプテンを務めている知場が打ち上げに誘ってくれたが遠慮することにした。今俺がいても気を使わせるだけだろう。
 ちなみに知場は今回試合に出場し、敗れたものの成長を見せてくれた。ガードが甘くなると19世紀の写真に出てくるボクサーみたいなフォームになるのは相変わらずだったが、ステッピングが格段に向上していた。長中距離での戦いだけではむしろ押していた。接近戦に持ち込まれた際の対処法を数パターン用意しておけば結果は変わっていただろう。地道に頑張ってくれ。
 それと、以前に作成した詩Позволяй руку твую целоватьの朗読を作成した。 こちら(HPの閲覧者にmacユーザーが少ないのと、ホームページサーバーのMBに限りがあるため、windows media playerに統一する。)。
 ちなみに今日記を書いているとすぐに日記を読んでくれた方からコメントで(今現在コメントは受け付けていないが、誤ってコメント欄をアップロードしてしまった)詩の誤字を訂正していただいた。感謝している。
 今現在は心の余裕がないためコメント欄を設けていないが、自分に余裕が出来たらコメント欄を日記にアップロードするかもしれない。

 

ボクシングの試合

を見に行った。最近自分のことで手一杯になっていたが、金曜日久々にボクシング部のホームページを読んでみたら試合が行われていて、これは見に行かなければ部員たちにとって失礼に当たると感じて見学に行った。
 北大ボクシング部員は接近戦に弱いという伝統的弱点を相変わらず維持していたがとてもいい試合をしていた。中でもボクシングエリート居並ぶ中果敢にAクラスに挑戦した本田真己に尊敬と激励の意を表する。
 そして、今日驚きだったのは北海道アマチュアボクシング、いや全国のアマチュアボクシングに栄光時代を築いた大西賢次選手が出場していたことである。
 俺がボクシングを始めたときに全盛期を迎えており、大西賢次選手の出ている試合は、試合以前に結果がはっきりしているというほどの強さを誇っていた。後で聞くと、これが年齢制限の最後の歳なのだという。
 数年試合に出場されていなかったが今日出場し、東洋大学の選手(詳しくは知らないが北海道から引き抜きされたボクシングエリートであろう)をKOで破った。正直スタミナやスピードは過去より衰えているのかもしれないが、それを凌いで余りあるキャリアとテクニックを感じさせた。圧巻は接近戦でのディフェンスで『この距離でこのパーリングはありえねえ』というテクニックだった。
 実は俺は現役時代に1度だけ大西賢次選手とスパーリングしてもらった経験がある。除夜の鐘のような凄まじいパンチだった。ゴーンと脳髄に響くのである。俺が今まで受けた中で一番きついパンチだった。
 コテンパンにされた相手だったが大西賢次選手の勝利が何となく嬉しかった。これはボクシングをやったことのある人間にしかわからないであろう複雑な気持ちである。
 俺は7戦でボクシングを引退した。それは、ある程度自分の持つボクサーとしての限界を感じたせいもあるが、何よりボクシングの世界に浸ったときに、それがアマチュアボクシングであろうともそれで喰ってる人間がいるということを知ったからだった。ボクシングで奨学金を受け大学に入っているボクサー、企業から援助を受けながらボクシングを続けている社会人ボクサー、アマチュアボクサーではあるが明らかにプロ意識を持っている。
 こうして俺にはボクシングに対するプロ意識がないと悟りリングを降りた。だが、その挫折を通じて自分がプロ意識を持っている、これだけは誰にも負けられない分野は何か悟った。そして現在俺は言葉を紡いでいる。
 ちなみに現在苫小牧で大西賢次氏にボクシングを教授して貰えるという。ジムはこちら。人を傷つけることはいいことではない。しかし、生きていくにあたって自分の身を守らねばならない場面、力を誇示しなければならない場面は必ず訪れる。その時に大西賢次氏の教えるキャリアとテクニック、そして自信があればどんな困難にも立ち向かっていけるだろう。ちなみに俺は苫小牧の高校に通っていたが、その時に大西ジムがあれば絶対に通っていた。はっきり言って北海道の地方都市で全国NO1を誇った選手のジムに通えるのは贅沢すぎる。
 ドストエフスキーの作品の中に俺の好きな台詞がある。『俺が必要なのはただ1つ、孤独な力の意識なのだよ』。
 ボクシングには間違いなく孤独な力の意識が眠っている。










 
P.S.もしもこちらを読む機会がありましたら、大西ジム関係者の方に
 入門生の試合や練習風景などを撮影し、記録を残すなどのサービスを行うとかなり喜ばれるのではないかと思います。僕自信現役時代の記録をちゃんと残しておくべきだったとちょっと後悔しています。今だったら低コストで比較的簡単に行える作業です。
  
 何だかんだで歌を録音した。まあ、昨日ブログで公開したギターに歌をのっけただけなので、収録したのは曲の1番目で録音は10分程。こちら
 ちなみに最初にWEBで公開した音声がボブディランのカヴァーソングというのも実は奇妙な話で、敬愛して已まないミュージシャンの歌なのだから光栄ではあるが、本来は自分のホームページなのだからプロフィールに付け加える挨拶か何かをまず最初に撮影すべきなのだが、そうなると音声だけではなく映像も撮影せねばならず現在行える作業ではないため、今の逼迫した状態から抜け出した後に今回の曲の正式な撮影と併せて収録する。

Symple twist of fate

 ギターを実家から自宅へ運んだ。楽器熱はここ数年全く冷めてしまっていたが、ムービーカメラの購入で演奏の記録を残すというモチベーションが生まれ、俄然やる気に火がつく。
 ディランのSimple twist of fateを練習する。恋人と同棲していた男がある日、彼女が突然いなくなってしまったことに気付く。彼女との甘い回想に浸りながら、こいつはなんなんだろう、何故こんなことになっちまったんだ、とどうにかして自分の心を落ち着けようとする、その時半ば無意識に発せられる言葉がSimple twist of fate(運命のひとひねり)。ひょっとするとディランの曲で最も好きな曲かもしれない。CDはこちら
 演奏の特徴はディランスタイル(?)なのか、オープンチューニング、最初っから和音が出来ていて、セーハするだけで全てのコードが押さえられるという合理的なチューニングである。まあ、弾き語り基本のディランならではなのだろうが、何となくアメリカっぽい。
 1日で一応弾けるようになったが問題は歌である。まあ、数日中に取り敢えずレコーディングしてみる予定。

guitar.jpg
 今日は100円ショップでお買い物。洗面道具や調味料が散乱していたのでプラスチックのバスケットと、パソコンの裏面蓋の開け閉めのためドライバーセットを購入。
 自宅に帰って部屋の片付けを行う。カオスの様相を呈しつつあった部屋が秩序を取り戻した。私は現在構想を練っている作品で、人間の行う社会的行為を分類する作業を行ったが、日々の暮らしにも分類は必要な観念だなとつくづく感じた。
 執筆は今日も目標達成ができた。調子を取り戻しつつあるのを実感。あと1週間くらいがヤマ場である。 


100shop.jpg
 朝3時に起きて、その後延々と取扱説明書と格闘。ついにいつでも撮影ができちゃうようにスタンバイした。手こずったのがmpeg4ファイルをwmaファイルに変更する作業。フリーソフトなどを必死で探したがうまくいかず、こりゃ駄目かと思いきや、何のことはない、付属のソフトウェアのAdobe Premiere Elements 3.0に機能が搭載していた。
 しかしながらもともとquicktime用に設定されているためそれをwindows media player用に変更する作業に録画時間の10倍ほど時間がかかってしまう。まあ、動画を載っける機会ができたら2つファイルを掲載する予定。
 その後執筆を行う。プレッシャーとの戦いである。慢性的な頭痛が再発した。途中でキーボードを叩くのが怖くなってくる。若造の立場であるし対象が対象だけに止むを得ないが、気力を振り絞り必死で今日のノルマを終えた。
 そういえばデジカメを持ってないので暫くはカメラとして活躍してくれそうなムービーカメラ、記念に撮影してみた。気の利いた写真が撮れればいいが、芸がない。芸がないから自分を撮る。芸がないから格好つける。芸も中身もないから格好つけても格好悪いが、まあいいや。そのうちディランの弾き語りをHPに掲載する予定なので覚悟してほしい(笑)。
 今日作ったおでんも撮影しようと思ったが自爆テロに近い愚考と判断して決断を先送りした。
 

selfphoto.jpg

ここ1週間ほど

 実はここ1週間くらい健康を害してしまい満足に執筆が行えませんでした。
 以前の2回くらいの日記は自身の不調を回復しようとした試みでしたがやはりうまくいきませんでした。
人間って脆いな。特に俺は脆い方かもしれん。
今陥っている不調を回復するために思い切ってムービーカメラを購入しました。
 気分転換のためと今回の出来事がきっかけでいつまで自身の健康を維持できるか自信がなくなったからです。
 元気なうちの自分の記録を残しておきたいと思いました。
 いずれHPにもUPする予定です。
 自分の理想を高く掲げれば掲げるほど人は現実と理想のギャップに苦しむ。でも、そのギャップをなくそうとあがいてきた試みが現在の人類の進歩を築いてきたのではないでしょうか。
 僕ももうちょっとあがいてみます。皆さん応援宜しく御願い致します。
 現在構想を練っている愛のゲーム理論の目玉は其々の人々が行いうる戦略パターンを2つのベクトルから図式化したモデルである。
 この図式により人間が複数の人生戦略パターンを行いうるという事実を科学的に証明することができた。
 しかしながら、この図形何かに似ていると後で気付く。
 キリスト教のシンボルである十字架に似ているのだ、というよりもそのままではないか。
 キリスト教のシンボルが十字であるのはキリストが十字に架けられることで人類の罪を贖ったことを心に刻み付けるためであるが、今回の図式モデルを思いついてからはそれだけではないような気がし始めた。
 そういえば、愛のゲーム理論モデルのために用いた今回の図式は数学用語ではデカルト座標という。
 デカルトが発想した座標概念ゆえにこのような名称が出来ているのだが、その原型は既に十字架に秘められていた気がしてならない。
 そういやデカルト座標とキリスト教国を示す国旗、そっくりである。
 思うに釈迦がそうであったように、古代の偉大なる宗教家は人間研究家としての側面を強く持っていた。
 ひょっとするとキリストの中にも愛のゲーム理論の知恵が秘められていたのかもしれないと想像している。
 明文化したのは俺が創めてだけどね!
 皆さん、遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
 小鳥のさえずりが聴こえ、ようやく冬眠から目覚めました。冗談ですが…。
 現在皆さんのお陰で順調にコツコツと執筆作業を行っています。
 執筆スピードは数年前に比べると6〜7倍には上がっていますが、それでもまだまだ修行が足りない自分を叱咤しつつ、また今年の2月でもう28歳となった自分に驚きながら、30歳という人生の区切りを迎えるまでに何を世に残せるかなんてことを考えながらキーボードを奏でています。
  ちなみに今回、試みにHPの名前を三文文士から三文々士に変更してみました。
 というのも三文文士は字画が14画なんですが、これは姓名判断では、何故かかなりの凶数なんです。実は僕の苗字の桃井も14画の凶数でそれがとても嫌だったのですが、慣れてしまったため何となくズルズルとHPの名前を三文文士としていたのかもしれません。
 ですが、二つ目の文の字を々という同字記号にすると書き字で13画の大吉数となることがわかりました。まあ、13ってキリスト教じゃ裏切り者ユダを表す数字で一般に避けられている数字で僕も好きな数字じゃないのですが、まあ吉凶とは往々にしてパラドキシカルなものなのかもしれません。(こちらを参考に)
 そういえば『三文〜』という言葉をHPに使用したのは、当時は無意識でしたが今考えてみると坂口安吾氏が自殺した文豪太宰治を評した名随筆『不良少年とキリスト』にインスピレーションを受けていたのかもしれないことに気がつきました(書籍はこちら。)この随筆の中で坂口安吾氏は自身を自虐的に称する言葉に三文々士という言葉を用いていて、その言葉が僕の記憶の片隅に残っていたのでしょう。しかしながらここで注目すべきは氏が14画の三文文士ではなく、13画の三文々士と記述していたことです。
 実は『不良少年とキリスト』の中で太宰治の死に関する13の数字について坂口氏が触れており、そして三文文士の表記が一般的で三文々士の表記が例外的であることを考慮に入れると坂口氏が自称した三文々士の13画は太宰の死にまつわる13とかけて、意識的に表記した可能性が高いのです。
 ということは、氏は自らを暗にユダに譬えているわけですから、太宰の死に対する毒舌の水面下で生きている人間が先に死んでしまった人間に抱く罪悪感を繊細に表現していたといえるでしょう。
 と同時に、なんだかんだといいながら自分を称するのに凶数14画の三文文士と書かず、書き文字13画の大吉数三文々士と書いていた点を鑑みるに坂口氏は結構ちゃっかりさんだったんだなと奇妙な感心をしてしまいました。
 自分自身三文文士という言葉をHP名として使用した経験のお陰で今回の洞察に辿り着くことが出来ました。きっと今回の分析は間違っていない筈です。
  ・・・と話がずれてしまいましたが、最近執筆以外は運気が停滞していたので、今回のHP名変更が気分転換のきっかけになってくれると有難いです。
 何はともあれ引き続き地道な努力を続けてまいる所存ですので皆さん応援宜しく御願い致します。


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