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 少し考えてみよう。
 まず考えられる要因はドストエフスキー作品の芸術的価値である。
 十字軍やジハードの時代より、今も変わらず世界中の紛争の原因となっている宗教や神についての啓示、そして国家などあらゆる組織の問題に対する問い掛けや、人間の持つ本質的な、謂わば業とも云うべき不条理で生々しい部分をこれほど鮮明に、そして美しく描き出した作家であるドストエフスキーの価値は衰えることがないだろう。
 そして、ちょうどその時期に出版されたドストエフスキー翻訳の新訳がそのブームを加速させたのだが、思うにどうやら理由はそれだけじゃないようだ。
 そこで考えてみると、ドストエフスキーの活躍したロシアの時代背景と現在の日本の置かれている社会状況に共通点があるということに思い到った。
 その共通点が何かというと、文明の発展の結果、国家や人々の在り方をより進歩させていかなければならないという局面の中で戸惑い混乱している社会状況という共通点だ。
 1800年代におけるヨーロッパの産業革命によって、ロシアはそれまでの農奴制を中心とした封建的農業国家から工業国家へと脱皮しなければならないという岐路に立たされ、そこで農奴解放などの革新的な政策が行われる一方で、政策の主義主張は保守的なスラヴ派と革新的な西欧派が対立する形となった(詳しくは拙著『すらすら読めるドストエフスキー』を御覧ください)。
 これはちょうど今、インターネットという技術革新と、それによるグローバル化や情報の共有、均一化という出来事の中で、今まで日本国家を支えてきた中央集権という一極集中のシステムから地方分権という多極型システムへと変化していこうとする国家の過程で混乱し、政党で謂うなれば自民党(保守)と民主党(革新)、地域で謂うなれば霞が関中央省庁(保守)と地方自治体(革新)に2分している日本と余りにも共通している。
 産業革命とIT革命という違いはあれど、技術革新によって国がその有り様を変えていかなければならないという岐路に立たされ、2分し混乱しているというという点は当時のロシアも今の日本も変わりがないのである。
 だからこそ、今私たちにはそんな混乱期を生きたドストエフスキー作品が身近に、何かより強固な説得力を持って感じられるのだろう。
 そして、そんな時代を生き抜き、誰よりも透徹してその世界を描いたドストエフスキーの作品にこそ、私たちの共同体にとってはその後ロシア革命やソ連期の粛清などでロシアが犯した過ちを私たちが回避するためのヒント、そして私たちひとりひとりにとっても今の混乱した時代を生きていくためのヒントが存在すると小生は確信しているのだ。


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